台風15号の関東襲来を先回りする形で、今朝の午前9時前に社主さまと長男夫婦は八ヶ岳を撤収した。
社主さま達を見送った後、私もプランター栽培の野菜の場所を移動したり、ブルーベリーさんの番人役がなくなって失業中のぶっき~ちゃんをログ壁の交差部分に避難させたりと、早めの台風対策を済ませた。

さあ、これから数日間の八ヶ岳単独滞在である。
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オフィスで11時頃まで、自然農法での畑作りの本を読んでいたら、何故か、道の駅「信州蔦木宿」で売っている「しろきやのおにぎりセット」と「Jumpinの調理パン」が食べたくなった。
すぐにおとちゃんで蔦木宿に向かって、おにぎりとパンをゲット。
帰路、井戸尻の前を通る際に、蓮畑にまだ花が咲いているのがチラッと見えた。
エッ、この時期にまだ咲いているの(°0°)
と、同時に昨日が父の命日であった事を思い出した。
既に1周忌と新盆は、8月2日に南房総で終えていたのだが、蓮の花に何となく呼ばれた気がしたね…

駐車場の前を少し通り過ぎていたが、バックして駐車場におとちゃんを置いて、蓮池の周辺を少し歩いてみることにした。
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父が亡くなったのが昨年8月で享年93歳、母が2020年2月で享年90歳。
共に、平均寿命を上回ったので、まあ長寿であったと言えるのだろう。
両親共に、アナーキーで危険発言や問題行動の百貨店みたいな感じだったので、我が家の息子達の「反面教師」としては最高の素材だった。
夫婦仲は「蛇とマングース」といった緊張関係があり、傍で眺めているとスリリングであった。
おそらく夫婦で一致協力して破壊活動に身を投じていたら、一流のテロリストとして歴史に名を残したに違いない。
幼少の頃から「歩く良識」と呼ばれていた私からすると「破茶滅茶」といった言葉がピッタリの2人だった。
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でも、振り返ってみると本当に「感謝」している事が2つあった。
ひとつは、私にも社主さま(家内)にも「介護」をまったく経験させないまま泉下の人となったことだ。
両親共に臨終に立ち会うことは出来なかったが、その数日前、まだ意識がある時にしっかりと最後の会話をすることが出来た。
私が勝手に家訓に定めた「散り際は美しく!」そのままの最期であったように思う。
父と母の「生き方の矜持」であったのかもしれない。
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もうひとつ感謝しているのは「親の役割の線引き」を明確に示してくれたことである。
かなり早い時期から「大学卒業するまでは面倒は見るが、その後は自分で頑張ってくれ」と伝えられていてね。
私は社会人生活2年目を迎えようとするタイミングで社主さまと結婚しているので、大学卒業と結婚に、ほとんどタイムラグがない。
両親との約束をしっかりと守って、結婚以来、経済的なサポートも息子達の出産時のサポート等、人的支援もほとんど受けていない。
まあ「皆無」と言っても過言ではないだろう。
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これはある意味「夫婦としての自立」を促してくれたわけであり、その対価として、まったく親から干渉されない生き方を選択する事が出来た。
社主さまの実家の方も、商売をしていた関係で多忙でね。
私の実家ほど極端ではなかったが、まあ、似たり寄ったりの状況だったな…
そんなわけで、よく社主さまと話すのだが「我が家の財産は、私達2人ですべて築き上げてきたもの。シンプルでわかりやすいし、どう使おうが2人の自由だね!」という状況が実現出来ている。
厳密には、社主さま側で例外がひとつあるのだが、これはまあ「3棟目のログハウスを建てよう!」プロジェクトの関連ネタなので、私の両親には関係ないな。
父の葬儀の2日後に、迷うことなく「相続放棄」の手続をしたのも、この「わかりやすさ」を維持したいとの思いが強かったからだ。
今思えば、夫婦としての経済的自立と不干渉主義っていうのは、私の両親からの最高の贈り物であり、教育だったのかもしれないな…
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勿論、私も3人の息子達にも伝えている。
大学卒業後は、自分の腕一本で生きて行け! それが「男の甲斐性」だよってね。
親子関係だって、サラッとしている位がちょうどイイと私は思うな。
社主さまも「子供達との同居なんて考えた事もない」と言うからね。
所詮、最も長い付き合いになるのは、一般的には「夫婦関係」なのだから、それが良好であるのがベスト。


と、こんな感じに、井戸尻の蓮畑周辺を10分程歩きながら思いを巡らせた。
井戸尻の蓮の花に「両親を偲ぶ」って感じだったな…
そう、何でもシンプルでわかりやすいのが一番。
「健康で、夫婦仲良く、仕事が楽しい。そして最期はピンコロさ!」という私の『幸福の定義』を貫こうと両親に誓ったよ!
