昨日は、昨年8月に亡くなった私の父の1周忌&新盆の日。
午前8時前に、三男におとちゃんの運転を任せて、社主さまと新百合ヶ丘の自宅を発った。
1周忌は午前11時からの開始だったのだが、10時前には実家周辺に到着。
1時間程の余裕があったので、今回の南房総トリップの「第2の目的」を先に済ませてしまうことにした。
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私はどうも実家のある「南房総」と周波数が合わない。
第1に「潮風」が何となくベタッと感じられて嫌いな事。
第2が、温暖な地特有の曖昧さとマッタリ感がブレンドされた生活リズム。
第3が、漠然と感じていた「自然災害(特に地震)リスク」であった。
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正直、「生まれ故郷」に対して何の思い入れも無い。
父の死後、幸いな事に、実家の土地や田畑、家、お墓等については妹の長男君が引き継ぎたいと申し出てくれた。
父の葬儀で喪主を務めたのが、私の実家での最後の役割となった感じかな?
葬儀の翌々日には相続放棄の申請手続をして、昨年の9月中旬には相続放棄申述受理通知書が届いた。
そう、実のところ、私と生まれ故郷を結ぶものは、もうほとんど無いのだ。
だが、今回の熊本地震の後に、私が漠然と抱いていた「地震リスク」の背景に何があったかを思い出したのである。
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私には、祖父母の記憶がほとんど無い。
私が生まれた頃には、父方の祖父、母方の祖父母は既に他界していた。
唯一、私が高校生になる頃まで存命であった父方の祖母との交流を記憶している。
この祖母が、関東大震災の際に南房総の被害がいかに甚大であったかを、よく語ってくれた。
地元では「房州大地震」と呼ばれており、当時の被害の甚大さを物語る写真が、地元の博物館等に残されている。
実家のある地区は「全戸数540戸の内、427戸が全壊、90戸が半壊」という壊滅状態であった事を今回の熊本地震後に改めて調べて知った。
また、自宅近くの「鉄橋」が崩壊した凄まじい写真も見つかった。



南房総が、関東大震災で最も甚大な被害を受けた地域のひとつであることは間違いなかった。
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関東大震災当時、おそらく10代前半だったであろう祖母の記憶は鮮明で、その体験談はとても生々しかった。
ゆえに、私は「生まれ故郷は地震が恐い(に弱い)」という固定観念を持つようになったのだと思う。
そんな祖母の「関東大震災の教訓話」は、それなりに覚えていたつもりだが、すっかり忘れてしまっていた事もあったようだ。
今回の熊本地震の直後に、何故かふと思い出したことがある。
それは、関東大震災で生じた、父の実家近くの「海外線(海水浴場)の隆起」である。
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父の実家から歩いて7~8分の所に、南房総でも有名な海水浴場があった。
私が子供の頃は、長い砂浜を伴った遠浅の海で、夏になると海の家が建ち並び、海水浴客で大賑わいする場所だった事を覚えている。
中学生の頃、祖母とその海岸まで散歩した際に、祖母が唐突に語り出した。
・関東大震災の前にはここには砂浜はなかった。道路に沿った堤防の所まで波が来ていた。
・大地震が来て、気が付いたら波打ち際がずっと沖の方に移っていた。その後、この海水浴場ができた。
・また波が堤防の近くまで来るようになったら、地震のことを気に掛けねばならない。
・・・といったような内容(警告)であったように思う。
おそらく、海外線が地震発生により隆起し、その後、歳月を重ねて浸食された頃に、また地震が起こるリスクが高いと伝えたかったのであろう。
どうしても気になったので、その海水浴場の現状を1周忌の前に確かめに行くことした。
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本当に驚いた。
まず、海水浴場らしきものが、見事になくなっていた。砂浜もほとんど無い。

そして、道路に接した堤防に、既に波が押し寄せていた。
これが、海外線の浸食によるものなのか、地盤の沈降によるものなのか(或いは、その両方なのか)、私には確認のしようが無い。
確かなのは、祖母が危惧した状況に限りなく近いことだった。
ヒエ~、凄い状態になっているよ😭
もしかして、場所を間違えたかと思ったのだが、目印となるホテルは当時とほぼ変わらぬ姿で営業を続けていた。
祖母が、私の父(祖母から言えば息子)の1周忌というタイミングで、私に「大地震に油断するな!」というメーセージを伝えてくれたのだろうな…
素直にそう受け取る事にした。
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11時から始まった1周忌と新盆の儀は1時間程で終わった。
これにて、今回の8日間の自宅滞在のミッションはコンプリート🙌
ランチは、帰路の途中にある「漁師料理 たてやま」をチョイス。
本来はお刺身系を食すのが王道なのだが、昨日はなぜか「鰺フライ」が無性に食べたくて「金谷 大鰺(黄金鰺)フライ定食」を注文。


やっぱり「お魚系料理」に関しては、長野ではなく南房総の圧勝だね!

まあ、長野は海が無いので当たり前なんだが…
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自宅に戻った後に冷静に考えた。
日本は地震を筆頭に「自然災害の坩堝」である。
災害毎に「相対的安全性」は存在するのだろうが、あらゆる災害に対して絶対的に安全な場所など、どこにもない。
様々な災害リスクを想定し、可能な限りの備えをし、八百万の神に祈った上で、最後は Que Sera, Sera…
結局、これしかないんだよね。
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今日の朝8時過ぎに、私は八ヶ岳オフィスに出社した。
これから24日間、八ヶ岳に滞在する予定だ。
さあ、あらゆる災害に備えるための基本構想「S・E・N・Sな庭と森作り」を着実に進めよう!
